人より少し遅くに結婚した私。それに加え夫は私よりもかなり年上だったので、すぐにでも赤ちゃんが欲しいと思っていた。新婚旅行ベビー
でもいいね、なんて言いつつ努力を始めたけれど、さっぱりうまくいかない。自分で排卵について勉強し、ひたすらタイミングを計っていた3年
弱。排卵日の予測を立てるだけでもこんなに難しいものなんだと実感する。恥ずかしながら、30過ぎてようやく自分の体について解ってきた。妊娠云々に関係なく、もっと若いときから勉強しておくべきじゃないだろうか。なんとか排卵日をおおよそ予測し、それを前後して1日置きに合計3回タイミングを取った周期には、体力の限界をひしひしと感じた(笑) だって2人とも、もう若くないもの。なのに、そこまで頑張っても妊娠しない事実。生理が来た時の絶望感。忙しすぎる夫との気持ちのすれ違い。夜中にベッドの上で号泣したこともあった。後から結婚した人が次々と出産していくニュースを聞くたび、耳を塞ぎたくなるような思いでした。
ようやく1年前、不妊専門クリニックへ。本格的治療を始めるまでに時間を掛けすぎたかなと今になってみると思う。神戸のHウィメンズクリニックを訪ねた。ここは雑誌や不妊サイトでも有名で、かなり手広くやっている印象だった。まるでホテルのように豪華な待合室には、いつも患者が溢れかえっていた。「儲かってんなぁ。」と思わせるには十分だった(笑) だけど、ただキレイなだけではない。受付・看護師・培養士などスタッフの全てがとても感じよく、不快な対応をされたことはただの1度もないほど、接客は徹底されていた。そして何と言っても、その成功率の高さ。体外受精教室で具体的に妊娠率の資料を見て、改めて納得。後に知るのだが、二段階移植を考案したまさにその先生がこの病院にはいるのだという。現時点では賛否両論の二段階移植だけれど、やはり妊娠率が高いことは間違いないように思う。余談だけれど、クリニックが街中にあったため、通院のたびにショッピングを楽しんだりして、通院自体がそれほど苦にならなかったのもよかったかな。余計なお金は掛かったけどね。
初めてのAIHで夫の男性不妊が発覚し、ICSIすることに決定。それからはトントン拍子だった。あまり深く考える暇もなく、スケジュールがこなされていった。もちろん初めての高度医療に対する期待は大きかったけれども、その一方、たった1回でうまく行くはずかない、と半分は諦めていた。なのでET後、さすがに数時間は極力じっとしていたけれど、夜には普通に家事もしたし、翌日は遊びに行ったりしていた。今回がダメでも、とりあえず3回までやってみようと夫婦で決めていた。夫はなぜかとてもいい方向に能天気で、ICSI真っ最中に新車(しかも某高級輸入車)を購入したりして、金銭的なことや、その根拠のない自信に腹が立って喧嘩をしたこともあったけれど、結果的には夫の呑気さに助けられたのかも。“期待する気持ち”と“過度の期待はしない気持ち”のバランスの良さは、羨ましいほどだった。ある日の日記にも書いたけれど、やっぱり夫はツイてるんだと思う。
そして、まさかの+判定。運良くICSI1回目で妊娠することができた。これは本当に偶然で、とてもラッキーなことだったと思う(ツイてる夫のおかげ?)。治療の段階によって辛い・マシという判断は決してできるものではないけれど、やっぱり高度治療の回数を重ねることは、他にはない辛さがあると思う。日々の注射の痛み、採卵のつらさ、そして重くのしかかる高額医療費。何度も何度も大変な努力をされている方たちが、一日も早く報われる日が来て欲しいと心から願います。
長かった・・・。一言で言うなら、本当に長かった。結果的には4年足らずだけど、体感期間は10年くらいだ。もちろん、もっともっと長期に渡って治療している方もたくさんいるから、私はまだまだ早い方かもしれない。友達も知り合いも誰一人いない土地で、親にも誰にも相談せずに、愚痴を吐くこともできずにいた。煮詰まって、それこそどうしようもなくなっている状態の時、この楽天に出会った。ここには同じ気持ちの仲間がたくさんいる。本当に、ここは救いの場でした。不妊治療はよく出口の見えないトンネルに例えられるけれど、まさにその通りだとつくづく思った。努力したらその分、必ず報われるならどんなにいいか・・・。でもそうじゃないから、辛い。だけど、私がそうだったように、出口は予告なく突然現れます。今まさに辛い思いをしているたくさんの仲間に言いたい。出口は、必ず、あります。
若い頃の自分を振り返ると、あの時あの人を傷つけてしまったんじゃないだろうかと、今になって思い出すことがいくつかあります。それほど人として未熟だった自分が恥ずかしい。長かった不妊期間だけれど、決して無駄なものではなかった。絶対に、無駄なものにはしない。不妊を経験しても、妊娠した途端、デリカシーがなくなる人もたまにいるらしいけれど、私はそうはなりたくない。“私には一生赤ちゃんはできないんじゃないか”という、漠然とした、でも常にそばにある不安。体も心も、痛くて、辛くて、傷つき、苦しかった気持ち。1人で何度も何度も流した涙。ただただ“赤ちゃんが欲しい”、そう願うシンプルな思い。この何事にも替え難い貴重な経験を私は決して忘れません。これから今まで以上に、人の痛みを理解できる人間でありたいと思います。
最後になりましたが、私の心の支えとなってくれた全ての方々に心より感謝します。本当にありがとう。
2005.11.5 sat.
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